2020年2月に、阿賀町立上川小学校4・5年生の皆さんに対して「新潟水俣病」についての授業(ガイドはあがのがわ環境学舎)を行いましたので、その様子をレポートします!
上川小学校では、4年生は阿賀野川の支流である地元の常浪川について学習を行っていて、5年生は米作りを行っていました。この2つに共通するのは「きれいな水」→このきれいな水(阿賀野川)が有機水銀によって汚されて食物連鎖の結果「新潟水俣病」が起きてしまったこと、新潟水俣病を発生させてしまった工場が地元・阿賀町にあったこと、今も新潟水俣病の症状に苦しむ被害者が多くいることを認識してもらうことから授業はスタートしました(授業時間:午前中の4コマ分)。
次は、なぜ新潟水俣病が発生したのかを学びます。
イラストを主体とした資料を使って、当時の原因工場の製造ラインから新潟水俣病の発生原因までを理解してもらい、昭和20年終戦から新潟水俣病が公式確認される昭和40年までの20年間で、日本がどのように豊かになったのかについて、当時の社会背景と工場で作っていた製品を対応させた年表で振り返りました。座学の最後は、往時の工場周辺の様子がわかる映像作品を鑑賞してもらい、現地見学に備えました。
そうして早速、現地見学に出発!当日は降雪になってしまいましたが、子どもたちは元気いっぱいにガイドの説明を聞いてくださいました。
ガイドは往時の写真パネルを掲げるスタイルで案内をしますが、まずは工場正門前で、往時の正門前の出勤風景、映画館・プール・幼稚園などを紹介した後、鹿瀬ダムの見学(水力発電の仕組み、工場建設の契機となったこと等)、そして鹿瀬工場の高台周辺の見学(アセトアルデヒド製造エリアから有機水銀が排水路へ流出したこと等)、最後に排水口周辺の見学(工場の排水口から阿賀野川へ有機水銀が含まれて排水されていたこと、排水口の水苔から原因工場を特定したこと等)を行いました。
現地見学から戻った後は、紙芝居「阿賀の近代産業ものがたり」(後半部分)の読み聞かせした後、紙芝居副読本の34~35ページと38~39ページを音読してもらいました。
そこから、工場及び行政(新潟県・阿賀町)の公害発生以降の環境回復や地域再生の対応及び施策を書き出してもらい、グループ単位で相談し合った後、グループごとに発表してもらいました。
このように座学と現地見学から新潟水俣病の発生原因及びその後の対応を学ぶことで、地域の環境を守り生かす意識や行動力をもってもらう契機となればと思います。
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