紙芝居教材「阿賀の近代産業ものがたり」

 
ここでは、紙芝居教材「阿賀の近代産業ものがたり」本体の内容や教材データなどを紹介します。
この紙芝居教材を作成するに至った背景や、阿賀町の近代産業の歴史について知りたい方は、下記のページを参考にしてください。
 
 
また、これ以外の「阿賀の近代産業」に関連する教材については、それぞれ下記のページをご覧ください。
 

紙芝居教材
「阿賀の近代産業ものがたり」副読本

 

紙芝居教材
「阿賀の近代産業ものがたり」補助教材

 

紙芝居教材
「阿賀の近代産業ものがたり」英訳版

 

阿賀町の小・中学校では現在、この紙芝居教材などを活用して、阿賀町の近代産業の歴史などを学ぶ授業がスタートしています。

 

こうした授業や学習を通じて、阿賀町の小・中学生が日本の近代化に貢献した阿賀町の近代産業の変遷を学びつつ、自らが生まれ育つ郷土への誇りや愛着を失うことなく、近代化の過程で発生した環境問題からも教訓を学び取る力を涵養するきっかけになってくれればと考えています。

 

なお、紙芝居の絵は、最初に新潟青陵大学四年生(当時)の髙嶋留莉さん・小林友歌子さん・山田桜子さんから描いていただいた原画に、様々な時代考証などを加えてさらに本格的な仕上がりとし、原画の一部は弊舎が以前に作成に関わった紙芝居「草倉銅山物語」(作者:こっこ)を参照しました。

 

また、紙芝居の本文は阿賀町の小・中学校の先生方などからも監修していただき、教材を検証する授業には多くの小・中学校から参加していただきました。

 
紙芝居の内容は、このページのすぐ下に掲載しましたので、興味のある方はご覧ください。
紙芝居の内容をパソコンやタブレットなどでPDFデータとして確認したい、あるいは、学校の授業で大型テレビに映し出したり印刷して生徒に配布したりするなどされたい場合は、このページの最後をご覧ください。
 

 
(かみ)(しば)()の目次
 
1.阿賀近代産業ものがたり
物語のはじまり
 
 

川がゆったりと流れ、緑ゆたかな山々にかこまれた新潟県・町。
ここではかつて、全国で1〜2のをほこったや、日本一の水力発電所、大きな化学工場など、日本のや人々の便なくらしに役立った「」がありました。

 

たくさんの人たちがき、くらして、活気があったにぎやかな時代。
それはどんな時代だったのでしょうか?

 

このをずっと見守ってきた、川に話を聞いてみましょう。

 
 
 
 
2.川の登場
 
 

わしは川。
県から新潟県を通って日本海へそそぐ大きな川じゃ。

 

長さが日本で10番目なのに、流れる水は2番目に多いのじゃが、その理由がわかるかな?
そう、雪がたくさんふる山と深い森の間を流れてくるから、水のかなのじゃよ。

 

ワシの自まんのこのかで清らかな水にはなァ、サケやアユ、コイなど、様々なの魚たちが数多くすんでいるぞ。
それにには無数のや植物も生きているからなあ。

 

大昔からワシは「命をはぐくむの川」だったんじゃ。

 
 
 
 
3.川の舟運
 
 

やクルマが無かった時代、川は道のもはたしていたぞ。
人々は川に船やイカダをうかべて、モノを運びしたのじゃ。

 

むかし町のには、大きながあって、たくさんの船が川にうかんでおった。
少し上流の鹿には、というのがあって、そこからも船が行き来しておったよ。

 

今日は町で栄えたのことを聞きにきたのじゃったな。
よし、まずはこのの話から始めるとするか。

 
 
 
 
4.のはじまり
 
 

町は金や石などのが、いくつもあったのじゃ。
中でも、時代に発見されたは、とびきりの山じゃった。

 

8年8月8日、という人が、さんから、をほるを買ったのじゃ。

 

は、さんが最初に買い取ったじゃったが、この人は、あの有名な県のも買い取った。
いつしか「日本の王」とよばれ、という大きなグループをくまでになったのじゃ。

 

グループには、世界的に有名な会社も多いのじゃが、みんな、「町のこそ自分たちの出発地点」として、れないようにしてくれているわい。

 
 
 
 
5.たくさんとれた
 
 

話をにもどそうか。

 

さんは、外国の新しいを持ちこんで、をどんどんさせたのじゃ。
もともとじゃったから、大ぜいのが、をたくさんほり出していった。

 

A)「この山は、本当にたくさん、が出るなあ」
B)「もよくなるから、もっとたくさん、ほり出そうぜ」

 

は、すぐにたくさんのがとれるようになって、16年には、日本で1〜2をあらそうになった。

 

の中ではとてもやわらかく、細く引きのばして電線のとして使われるが、ちょうどたくさん電気が使われ始めた時代じゃったから、はよく売れたのじゃ。

 
 
 
 
6.
 
 

ところで、は山からほり出したら、すぐ売れるというものではないのだぞ。

 

ほり出したを、高い温度でいたりとかしたりする、「」という作業をして、きれいなにしなければ、売れないのじゃ。
しかし、その作業、はたくさん出るし、くて大変な作業だったらしいなあ。

 

最初のうちは、このを山の上で行っていたのじゃが、があまりにもたくさんとれ、に使う山の木もきりつくしてしまった。
そこで、山をくだった川沿い、ちょうど今の鹿発電所があるという場所に、大きながつくられてなあ、そこですることになったのじゃ。

 

それからは、このが昼も夜もをモクモクとはき出しながら、ますます多くのをつくるようになったなあ。

 
 
 
 
7.から
 
 

わきの川には、があってのォ、に「ヤマイチ」のをえがいたが何そうもとまっておった。

 

ここから船にみこまれたは、川をくだって、新潟から日本国内はもちろん外国まで運ばれて、多くのお金をかせぎ出したのじゃよ。

 

そのころは、があまりとれずにっておってのォ。
じゃが、の山にがたくさんあると信じていたさんは、のもうけをほとんどにつぎこんで、をほり続けたそうな。

 
 
 
 
8.えた地元
 
 

が最もえたころは、全国から多くの人がきにきていてのォ、家族もふくめ6千人もの人々がくらした、と言われておる。
の山の中には住宅はもちろん、学校・病院・駐在所・商店などがあって、も開かれて、町のようなにぎわいを見せていたのじゃ。

 

そのころまだ、めずらしかった電話もあってなあ。

 

(子どもA)「もしもし、聞こえる?」
(子どもB)「もしもし? 聞こえるよー」

 

大人も子どもも、あちこちから最新のを見学に来たものだが、いま思えば、このころがの最も良い時代だったのかもしれないなあ。

 
 
 
 
9.
 
 

ところで、があまりとれずっていただがのォ、さんがほりはじめて7年目に、とうとうのかたまりをほり当てたのじゃ。
の10倍以上もがとれるようになって、はあっという間に「東洋一の」になったのじゃよ。

 

じゃが、んでばかりもいられなかった。
というのも、が山の木をたくさんらせてしまうなどのが出たからじゃ。

 

このを、だった という人がえたことで、全国の人々が知る大になってしまった。
では、このが日本で最初に発生しただと言われている。

 
 
 
 
10. をのりこえて
 
 

をきっかけに、ではなどから、のあるモノを取りのぞくを生み出したのじゃ。
では、世界中の多くので、そのが使われているぞ。

 

そんなから生まれたや部品のおかげでな、みんなが使うスマホやゲームも作ることができるのじゃ。
そのほかにも、コンピュータなどのや、様々なものに使われて、いまのかで便なくらしを支えておる。

 

日本の工業技術が、今のように進んでいるのは、もしかしたらがあったから、とも言えるかなあ。
そんなふうに考えると、少しワクワクしてくるなあ。

 
 
 
 
11.
・ダム
 
 

さてワシにとっては、重大といっていいじゃろう。
の後半になると、全国各地にがつくられ始めたのじゃ。
それまでは川を利用して、人やモノを運んでいたのが、蒸気という、まったく新しい乗り物が登場したのじゃ。

 

このあたりでも、川に沿っての工事が始まって、により近い場所に駅がつくられた。
それがいまの西鹿じゃよ。

 

ところが、せっかくした3年、ではがほとんどとれなくなって、いていた人はなどへってしまったのじゃ。

 

を使ってをもり上げたいと思っていたのだろうに……なんともなできごとじゃった……。

 
 
 
 
12.鹿ダムの
・ダム
 
 

時代に入ると、そのを利用して、全国各地に大きな工場がされた。

 

工場は電気をたくさん使うから、この川にも、発電所がつくられることになったのじゃ。
しかし、ワシのような大きな川をせき止めるには、の石やコンクリートが必要だったから、それを運ぶがなければ、つくることはできなかったのじゃ。
ところが、人間たちは、鹿駅からがあったまでレールをしいて、の石やセメントやを運んで、ここにダムをつくりはじめた!

 

(魚A)「ダムができたら、ぼくたち魚は、川を行ったり来たりできなくなる」
(魚B)「くらしている人間たちだって、船やイカダを通せなくなるぞ!」

 

魚たちの悲鳴は聞こえたが、国をさせ人々のくらしをかにするためには、しかたのないことじゃったのかなあ。
工事は時代の終わりから始まり、たった3年で完成した。
それがいまの鹿ダム・鹿発電所じゃよ。

 
 
 
 
13. 鹿工場の
鹿工場
 
 

そのころ、 鹿発電所の工事だった、という人が、何やら頭をかかえこんでおったな。

 

(森)「日本一の発電所なのに、電気が売れない! このままだと大赤字だ! った!」

 

このころ、運悪く日本のが悪くなって、大都市・東京に売る予定だった電気が、売れなくなってしまったのじゃ。
そこで、森さんは必死に考え、良いアイデアがひらめいた!

 

(森)「そうだ! 鹿発電所の近くに工場をつくって、そこで電気を使えばいいんだ」

 

この森という人は、思いついたら行動がすばやかった。
鹿駅に近かった広い田んぼをりて、そこまで駅から線路をしいて、を運びこみ、ダムからわずか1年で大工場をさせた。

 

それが、昭和鹿工場じゃ。

 
 
 
 
14.
鹿工場
 
 

ところでみんな、鹿工場では初め、何をつくっていたか知っているかな?

 

工場は最初、「」とよばれるをつくる工場としてスタートしたのじゃ。 原料はなんとビックリ!川の左側の山々からほり出される、「」とよばれる石なんじゃ。
その石を、スキー場のリフトのようなもので、山をこえて工場へ運びこんで、電気の力を使って、「カーバイド」とよばれるモノを作り出す。

 

そのカーバイドから、「」というができるんじゃよ。

 
 
 
 
15.する工場
鹿工場
 
 

それから、鹿 工場のは、ましかった!
とくに、が終わった昭和20年ころは、日本中で食べ物が不足していた時代で、米やをたくさんつくるために、ぶように売れたのじゃ。

 

このころく人が、いっぺんに2〜3千人にもえた。
家族ぐるみで近くに住んでいた社員もいたから、工場のまわりには、おどろくほど多くの人々がくらしていたのじゃ。

 

ほかのからも多くの人がきに来ていて、時間になると、駅から工場までがとぎれることなく、駅のホームはみ合っていたなァ。
今の鹿駅からはもつかない、にぎやかで活気のあるじゃった。

 
 
 
 
16.都会のようならし
鹿工場
 
 

おどろくのはそれだけではないぞ。
昭和は、鹿工場で働く人々が楽しんだりくつろいだりできる、いろいろなを用意したのじゃ。

 

映画館では、毎日のように新しい上映され、時にはがコンサートも開いておった。
大きなデパートのようなお店もあって、東京にしかないような品物でも、何でも買うことができたそうな。
他にも、最新式のプールや水道をつくったり、な病院やもあったんじゃと。

 

社員の人々がくらすのいたる所で、子どもたちが遊び回り、が始まろうものなら、大ぜいの子どもたちが集まってきたものじゃった。
他にも、川の川遊び、の祭り、スキーなど、楽しい笑顔がたくさんあったなあ。

 
 
 
 
17.アセトアルデヒドの
 
 

日本人のくらしがかになって食べ物も十分になってくると、あれほど売れていたが急に売れなくなった。
鹿工場は毎月のように、赤字に苦しむようになったのじゃ。

 

工場は赤字じゃったが、昭和30年ころから日本はが良い時代が続いてなァ、テレビ・などのが飛ぶように売れたのじゃ。
これらのには、プラスチックなどのが多く使われていてのォ、そのプラスチックは「アセトアルデヒド」というモノからつくられておった。

 

このアセトアルデヒド、実はカーバイドからつくり出すことができたのじゃ。
をつくり続けても、いずれ工場がつぶれてしまう……」と考えた会社は、カーバイドからをつくるのをやめて、かわりにアセトアルデヒドをたくさんつくるようになったのじゃ。

 
 
 
 
18.の発生
 
 

しかし、このアセトアルデヒドをつくるときに、「」というモノが生み出されてしまい、それが工場から川へ流れ出ていたのじゃ。
ワシの、この川のきれいな水は、によごされてしまったのじゃ!

 

というのはな、水中のプランクトンに取りこまれる。
するとそのプランクトンをなどが食べ、そのを川魚が食べるといったぐあいに、生き物の体の中でどんどんくなっていくのじゃ。
そして、にたまった川魚を、毎日のように食べていた多くの人々が、にかかってしまった。
は人間の体の中に入ったにたまって、手足のがなくなったりしびれたりする、つらい病気でなあ。
そんながこの川でおきるとは、だれも思わなかったじゃろう。

 

は、県の県のイタイイタイ病、県のぜんそくとならんで、日本のとよばれておる。
社会がかになる中で、人間の活動が海や川、空や土をよごして、をあたえるはとてもおそろしく、二度とくりかえしてほしくないなあ。

 
 
 
 
19.ふたたび
 
 

ところで、今の日本では、アセトアルデヒドは安全な方法でつくられているから安心じゃ。
それと、鹿工場は、今は「昭和」という名前の会社になって、やおなどの水を流すパイプなどをつくっておる。

 

工場のは、国のの2倍しい町のできれいにしてから、川へ流しておるので心配ないぞ。
さらに、昭和では、 をおこしたことを深くして、工場から出るをきれいにするを、見学してもらう取り組みも行っているのじゃ。

 

そうそう、ワシとしてはここを最も大きな声で言いたいのじゃが、今は川をよごしたも取りのぞかれ、新潟県から「もう川は大丈夫」というが出されているぞ。
がおきてから、川魚を食べないよう言われていたのじゃが、このをきっかけに、ふたたび川の川魚を食べても良くなったのじゃ。

 

ようやくまた、昔のようなきれいな水を取りもどせて、わしは生まれ変わったのじゃよ。

 
 
 
 
20.今の
今の
 
 

今の町を、見てごらん。
かな森から流れ出るきれいな水が、川をへもどしてくれた。

 

そうしたきれいな水で育てられた町のお米は、全国の有名なお米の中でもとくにしいとの評判で、東京のデパートでもされ、にも選ばれているのじゃよ。

 

それと……お米と言えば、しいお酒もじゃな。
町の会社は、このきれいな水と地元のを使って、にやさしい酒づくりをしているんじゃが、とびきりおいしいお酒ができるのも、当然の話じゃなあ。

 

今の町には、きれいな自然やしい食べ物なら、自まんできるものがいっぱいあるのじゃよ。

 
 
 
 
21.町の未来と
今の
 
 

最後に、ワシからのおいなのじゃが…

 

春にく、やかな椿
清らかな水を生み出す、夏のブナ林
秋のや、
冬のと、体まる

 

すてきなものがたくさんある、このふるさとの町はもちろん、世界のどこでも二度とをおこさないよう、自然を大切にして、きれいな水や空気を守ってほしいのじゃ。

 

では、よろしくたのんだぞ。

 
 
 
 
22.おしまい
 
 
 
 

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